看護師さんの志望動機って・・・?
看護師になるにあたって避けて通れない志望動機・・・
看護学校・看護学部の受験だけでなく就職・転職活動にあたっても何度も対峙する難題ですね泣
履歴書か面接で必ず聞かれるといっても過言ではありません・・・
そんな志望動機ですが、他の人はどんな理由なのかな?
現役看護師さんはどんな理由なのかな?
の疑問のお助けをするべく今回は管理人すずの志望動機をお届けします!
あなたがいても邪魔になる・・・と言われて
まず1つのきっかけは曾祖母でした。
(病気に関わる記述が入ります。苦手な方はスキップして下さい。)
曾祖母はこんな人でした。
生前の曾祖母は、病気をせず、いつも元気でニコニコしていて、歳を重ねたことも言い訳にしない人でした。
80を超えてからも毎日健康のためと30分以上近所を散歩したり、習字を師範レベルまで極めたり、旅行したり・絵を描いたりと毎日コツコツと日々を積み重ねて過ごしていて
当時中学生の私も将来こんな風に歳を重ねたいな・・・と思える人でした。
正月・春休み・GW・夏休み・・・と長期休暇の度に曾祖母・祖父母の家に連れて行ってもらい、いつもかわいがってもらっていました。
突然の入院・・・
私が中学生3年生受験期の時、曾祖母が突然背中が痛くなり・歩行困難→緊急入院したと母から聞かされました。
病名は末期のすい臓がんでした。
当時中学生の時の私の思い
曾祖母が入院になったことを聞き、母に「おばあちゃんに会いに行きたい」と言いました。しかし返ってきた答えは「あなたが行っても邪魔になるだけよ」の一言でした。
その言葉は何よりもショックでした。
ショックはあっても、当時は中学生自分の行動だけではどうにも面会に行くことが出来ず、曾祖母は疼痛コントロールを継続しながら,約1か月経たないくらいで亡くなりました。
生前の面会は叶わず、葬儀前の面会が最後となりました。
あとで聞いた話だと痛みが強く疼痛コントロール(モルヒネなど)を最後は行って意識ももうろうとしていたようでしたが、私はそれでもとても会いたかったです。
今でも生前の面会ができなかった事に後悔があります。
看護師になって振り返っても
看護師になった今では疼痛コントロールを行っている曾祖母の身体的負担は・・・?
曾祖母が最後に会いたいと思っている人は?
家族との最後の時間を作るようにするには・・・?
などなど看護師としてアセスメントしなくてはいけない場面も沢山あるなと思います。
ですが、母から言われた「あなたは邪魔になる」と言われたことが、
看護師という職業を考え始めたときに、
看護師だったら身内の助けになるかもしれない
看護師になったら身内として,また医療的な知識を持った人として側にいられるかもしれないと思いました。
これが私の看護師になろうと思った第一歩でした。
2011年3月東日本大震災
高校1年生の3月 東日本大震災がありました。
世の中大変なことになっているのはもちろんのこと、高校生の私は学校も休校になり家にいました。
DMATってすごい
DMATってご存じでしょうか?
「災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チーム」と定義
(平成13年度厚生科学特別研究「日本における災害時派遣医療チーム(DMAT)の標準化に関する研究」報告書から)されており
災害派遣医療チーム Disaster Medical Assistance Team の頭文字をとって略して「DMAT(ディーマット)」と呼ばれています。
引用:厚生労働省 DMAT事務局 http://www.dmat.jp/dmat/dmat.html
このDMATの被災地で活動する姿をテレビで見て、すごい人達がいるなと思いました。
また避難場所で生活する人を助ける看護師や保健師の姿、そして病院で必死に医療をつなげていく人たち・・・
1人でも多くの方が助かってほしいと思いました。
そして高校生で守られている自分、何もできない自分が無力でとても悲しくなりました。
次に災害・予期せぬことが起きた時、自分は何ができる?何をしている?
震災後から復興へ・・・と世間が進み始めた頃、私は自分の立場を改めて考えるようになりました。
高校生で今は何も出来なかったとしても、このまま歳を重ね、またこんな災害が発生したとき自分は何か出来る立場にあるんだろうか?と思いました。
社会人になって普通にOLになったとして、災害や予期せぬことが起きた時自分は避難所などでじっとしてまた守られる立場として過ごすのだろうか?
目の前に助けられそうな人がいても、助けられずただ救助されるのを祈って待つことしかできないのだろうか?
色々な思いが巡る中、無力な自分を経験するのはもう嫌だ
という思いだけははっきりしていきました。
そして進路選択
東日本大震災を経験して、より職業選択を考えるきっかけになりました。
そしてその時に曾祖母との事も振り返り、とても悔しい思いをしたこともふつふつと出てきました。
まず直接人を助けられる職業になろう!
↓
曾祖母の件から、患者さんに近い医療の情報がわかる人になりたかった
↓
医療職=医者or看護師しかない!
↓
仕事も大事・・・だけど就職後のいずれは結婚・出産もしたい!
↓
プライベートの自由度 看護師>医者かな・・・
と看護師にたどり着きました。
(将来設計が甘いのは当時高校生なのでお許し下さい・・・汗)
最終的に気持ちが固まったのは高校2年生の秋頃でした。
看護師になりたいという思いを小・中学生頃から持っている人たちに比べると志を持ったのは遅いスタートだったかもしれません。
でもここまでしっかり自分の中でよく考えたので、気持ちがぶれず就職してからも看護師になりたいと思った理由は変わりません。
(早くから志していた子たちは看護師の職業に憧れている状態だったりしたので、看護学校に入ったあたりから自分がなんで看護師になろうと思ったか分からなくなってしまった子も割といました)
看護師ってとてもやりがいのある仕事ですが、大変なこともやはり多いです。
大変な時になんで自分は看護師になりたかったんだっけ・・・?と就職して働いている今でも何度も考えます。
でも、その思いをすぐに振り切れるくらい強い気持ちがあると、頑張ろうってまた力になるなーと思います(^^)
長くなりましたが、少しでも参考になればうれしいです
①身内が病気になった時医療の知識を持って支えたいと思った
②災害・非常事態の時に無力な自分を味わいたくなかった。人の役に立つ仕事がしたかった
ここまでお読み下さりありがとうございました☆
ちゃんとなりたい理由を書いてみましたが
実はそんなに立派なものでもないよ?打算的なところもあったよ?
なことも次に書いていきます笑